Vol.2 アクティブデバイスモデル開発研究の現状

第6回 GaN HEMTの経験的なコンパクトモデルについて

はじめに

 前回の記事では,GaN HEMTデバイスについて紹介し,その3つの代表的なコンパクトモデルを挙げました.
今回は,まず化合物半導体用モデル開発における歴史を振り返ります.そのうえでAngelov GaN-HEMTモデル [1-2] の特徴を紹介します.

化合物半導体のコンパクトモデル

GaNが使用される以前からGaAs(カリウムヒ素)は様々な回路で使用されてきました.このため,GaAsによるトランジスターのコンパクトモデルは数多く存在します.簡単のため,基本ドレイン電流式を取り上げてGaAs MESFET/HEMTのモデルを見てみます.

GaAs MESFET/HEMTモデル

化合物半導体を使ったトランジスターとして古くから使われているのは,GaAsによるMESFET(金属半導体電界効果トランジスター),HEMTがあります.これらは高周波,低雑音特性に優れ,特にミリ波周波数帯域アプリケーション領域で使われてきました.ただプロセスコストが高いので,汎用回路設計には向きません.また,半導体GaAsは単結晶シリコンと違って歩留まりが良くないことや,欠陥が多いことなどでプロセスコントロールが難しく,物理特性の高精度解析がシリコンデバイスのようにはできないので,T-CAD解析を困難にしています.
同様に,SPICEにおけるコンパクトモデル開発も,ほとんどが経験的な関数モデルで行われていました.GaAs MESFETはJFET(接合型電界効果トランジスター)の構造から開発されたため,モデルもJFETモデルからスタートしました.これらは基本的にディプレッション型(ノーマリーオン)であり,アクティブ領域の特性のみの使用を前提に作られているため,ゲート電圧がしきい電圧以下ではドレイン電流はゼロとして作られています.初期のMESFETモデルで一般的に使用されていたものとして,Curticeモデルがあります.その基本線形・飽和領域ドレイン電流式は [3],

IDS = β(VGS - VTO)2 (1 + λ∙VDS)∙tanh⁡(α∙VDS). (1)

式の詳細は割愛しますが,β,λ,αはモデルパラメータです.
さらに,より測定データに近くなるようにした,レベル2モデルでは,

IDS=(A0 + A1V1 +  A2V12 + A3V13)∙tanh⁡(γ∙VDS). (2)

ここで,V1 = VGS[1 + β(VDS0-VDS)].
式(2)でA0, A1, A2, A3, γ, β, VDS0はモデルパラメータです.

このように,多項式やフィッティング関数が使用されています.より実用的な高精度なモデルとして,旧EEsof社のEEFETモデルなど多くのMESFETモデルが開発されて,特に産業界で回路設計に使用されてきました.Angelov MESFETモデルもその一つです.GaAs HEMTでは構造や動作原理は違いますが,電流式,等価回路がほとんど同じためAngelov MESFET/HEMTモデル [4] が現在よく使われているようです.その基本線形・飽和領域ドレイン電流式は,

IDS = Ipk(1 + tanh⁡(ψ))tanh⁡(αVDS)(1 + λVDS). (3)
ここで,ψ = P1(VGS-Vpk) + P2(VGS-Vpk)2 + P3(VGS-Vpk)3

式(3)でIpkとVpkはトランスコンダクタンス(gm)が最大となる,ドレイン電流,電圧です.ψ, α, λ, P1, P2, P3はモデルパラメータです.

関数モデルの利点

多項式近似は,SPICEで指数関数,対数関数などを使用するより収束が早いため,テーラー展開などを使用して,そのような関数を多項式にしています.
また,式(1)から(3)にあるように双曲線関数である,tanh()が頻繁に使われています.図1のように,グラフをプロットしてみるとFETのドレイン電流・電圧特性に似ていることがわかります.

図1.tanh()関数のグラフ

 さらに,図2のようにa変数を追加することでカーブを変化させて,ドレイン電流の特性に合わせることができます.さらに変数を関数の内・外部に追加すれば様々な特性に変化させられます.

図2.tanh(ax)のグラフ

数学的な解析として,tanh()関数は以下のようになります.
tanh⁡(x) = sinh⁡(x) / cosh⁡(x) = (ex-e(-x)) / (ex+e(-x)). (4)

これを微分した導関数は,

d/dx tanh⁡(x) = d/dx (sinh⁡(x) / cosh⁡(x)) = (cosh⁡(x)∙d/dx sinh⁡(x) - sinh⁡(x)∙d/dx cosh⁡(x)) / cosh2⁡(x) = (cosh2(x) - sinh2(x)) / cosh2(x) = 1 / cosh2(x). (5)

となって連続関数であり,さらに微分し高次の導関数においても連続です.これは,特にGaAs HEMTのような超高周波シミュレーションを行う高周波回路において必要な,高調波ひずみ解析において重要なポイントです.
同様な関数は他にも考えられますが,このような双曲線関数はSPICEと相性が良いといえます.

Angelov GaN-HEMTモデル

AngelovのGaN-HEMTモデルはCADモデルとして開発され,主に化合物半導体を用いた高周波回路設計をKeysight ADSによって行っている企業では,標準モデルとして使われています.高周波回路設計で使用するシミュレーション項目を細かくサポートしており,収束性能も良いという特長がある一方,米国CMCのコンパクトモデル標準化委員会においては,物理的な要素に乏しいため,Advanced SPICE Model for HEMTs(ASM-HEMT)やMIT Virtual Source GaN HEMT Model(MVSG)ほどは推奨されていません.プロセス・デバイス設計・研究者においては,完成したデバイスの電気特性をプロセス条件の変更から予想することに向いていないためです.
ドレイン電流式を見てみます.Angelov GaN-HEMTモデルには多くのバージョンが存在するため,参照する文献によって少しずつ違いますが,以下は実際に搭載されていたものです.詳しくは各文献を参照してください [1-2].

IDS=Ipk(1+tanh⁡(ψ))tanh⁡(αVDS)(1+λVDSsbekb(VDG-Vtr)) (6)

ψ=sinh⁡(P1m(VGS-Vpk0)+P2m(VGS-Vpks)2+P3m(VGS-Vpkm)3) (7)

P1m=P1(T)[(1+ΔP1)(1+tanh⁡(αsVDS))] (8)

P2m=P2[(1+ΔP2)(1+tanh⁡(αsVDS))] (9)

P3m=P3(1+ΔP3)(1+tanh⁡(αsVDS))] (10)

式(6)から(10)を見てわかるように,すべて双曲線関数と多項式で構成されています.式(3)のGaAsのモデル式と似ていますが,さらにドレイン電流カーブが多くの変数に追従するようにできています.ここで,P1, P2, P3, α, αs, Vpk0, Vpks, Vpkmはモデルパラメータです.
次に高周波特性で重要となるゲート容量モデルに関しても,以下のようにできています.

Phi1=P10+P11∙VGS+P111∙VDS (11)

Phi2=P20+P21∙VDS (12)

Cgs1=Cgspi+Cgs0T(1+tanh⁡(Phi1)+P222∙Cgsdepl)(2∙P111+(1-P111+tanh⁡(Phi2))) (13)

Cgsdepl=((m+y2)(-1-MJC))(m+(1-2∙MJC)∙y2) (14)

ここでも双曲線関数tanh()が多用されています.ここで,P10, P11, P111, P20, P21, Cgspi, Cgs0T, P222, m, MJC, yはモデルパラメータです.
小信号等価回路モデルでは,自己発熱や周波数分散効果なども考慮されています.各コンポーネントの意味などは割愛しますので,興味のある方は各文献 [1-2] をご参照ください.

図3.GaN HEMTの等価回路 [1]

まとめ

今回は,モデル式が関数を使用して経験的に開発されたモデルについて紹介し,主にAngelov GaN HEMTを見てみました.
次回は物理的なモデルで,表面電位をもとに開発された,Advanced SPICE Model for HEMTs(ASM-HEMT)について紹介します.

参考文献

[1] I. Angelov, M. Thorsell, K. Andersson, A. Inoue, K. Yamanaka, and H. Noto, “On the Large Signal Evaluation and Modeling of GaN FET,” IEICE Trans. Electron., vol. E93-C, No. 8, 2010.
[2] I. Angelov, V. Desmaris, K. Dynefors, P.A. Nilsson, N. Rorsman, and H. Zirath, “On the large-signal modelling of AlGaN/GaN HEMTs and SiC MESFETs,” EGAAS, pp.309-312, 2005.
[3] W. Curtice and M. Ettenberg, “A nonlinear GaAs FET model for use in the design of output circuits for power amplifiers,” IEEE Trans. Microwave Theory Tech., vol. MTT-33, No. 12, 1985.
[4] I. Angelov, L. Bengtsson, M. Garcia, "Extensions of the Chalmers Nonlinear HEMT and MESFET Model," IEEE MTT Vol. 44, No. 10, October 1996.

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